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等身大でしかいられないと言うこと。

こんにちは。

このブログは、これからの暮らしの豊かさを考えるブログ「百姓への記録」です。


今日は、等身大であること。について。


最近 Twitter の使い方を変えました。

今までは身近な友達を中心にみんなの今(なう)を知るためのツールでした。


Twitterが流行った頃は、高校生だったのでそれくらいしかフォローする人がいなかったのです。LINEも同時期に流行ったっけな。

それはそれは自分にとっては新鮮な感覚でした。

それまで友達との連絡はメール。

好きな人とのやり取りはひたすらに「Re:Re:Re:Re:Re:Re:」が続いていて。

一つ送るのに何回も打ち直して送ってました。


あぁ、懐かしいやら恥ずかしいやら。


それが、LINEやTwitterのおかげで、もっと気軽にみんなのリアルが流れてきて、もっと多方向に同時にメッセージのやり取りが行われるようになって。


「すげぇ!!」って新しいツールにわくわく楽しんでいました。



それはそれでよかったのですが、

最近は少し、使い方を変えました。


具体的には「自分の興味がある分野で自分よりもっと深めてる人」つまり尊敬する人生の先輩方をフォローするようになりました。


ん?これ当たり前かな?笑

みんな有名人とか、尊敬する人とかフォローしとるか。



Twitterの使い方に正解も不正解もないとは思いますが、

《コミュニケーションツール》から《情報収集のための勉強のツール》になりました。


それからは、もうハートを押す回数が増えること増えること。

いいなと思った考え方、価値観、知識や知恵などを留めておきたくて、いいねを押しています。


(なので、自分のアカウント(@makky1823)のいいねを見ると、松木が大事にしたいものが見え隠れしています。笑)


そんな使い方をしていると、「この人の考え方好きだな」とか「これはものすごい共感できるな」とか「こんな素敵なものの見方したいな」とか。

どんどんフォローが増えてきて。

どんどん学びたい人が増えてきて。

最近はタイムラインがわくわくに満ちていて、インプットが仕切れないでいます。



決して驕り高ぶっていた訳ではないのですが、

世の中には、まだまだ知らない世界がいっぱいあるし、何よりも深さが見えない。


もちろん何かしら似たような興味関心があるひとをフォローしてますから、

その世界については自分もそれなりに好きではあるのです。




でも、深い。

まだまだ、浅い。




「この人たちには一生敵わないな」

「同じ世界にいるには、俺は浅すぎて何もできない」なんて時々ぶち当たります。


でもやっぱり、僕らは僕らでしかないから、僕らの等身大でしかいられない。

焦りすぎず、でも、自分自身の軸はしっかり両手に持って。


少しずつ、深めていこう。


そんなことを思った今日の帰り道でした。



ご覧いただきありがとうございました。

この記録が誰かの何かのヒントになれば嬉しいです。

いつか、どこかでお会いしましょう!



松木

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