こんにちは。
このブログは、これからの食と農と暮らしの豊かさを考えるブログ「百姓への記録」です。
今日は新潟県十日町市の農家さんへ訪問したときの記録。
訪問先は、日本のかたすみの、雪深い山のなかにある「雪の日舎」さん
雪の日舎さんを知ったのは、ちょうど一年前の今頃でした。
私たちのコンセプトは、「はぐくみのそばに、里山じかんを」。 しあわせなはぐくみが未来に繋がるフィールドをつくり、そのなかで、各々が持つはぐくむ力を引き出し循環させることで、中山間地域の農村存続を目指しています。
「里山じかん」とは
里山のすべてのありようから、生き方を引き出し、時に溶け合い、 安心のなかで自分をはぐくみ、くらしをはぐくみ、そして愛おしい誰かをはぐくむことができるじかん。 それは、今日のはぐくみに力を与えてくれ、時代や人生の変化に対してしなやかで強く、 自分を信じることができるたしかな生き方となる。 それは農村がつくる生き方や文化でもあり、それらを「里山じかん」と名付けました。
雪の日舎ホームページより(https://snowdays.jp/co/about/ )
素敵。
なんて心地いい世界なんだろう。
初めて見たときは、すごく胸打たれて、わくわくして、
誰かに知って欲しくて、このページを印刷して友達に見せました。笑
ずっと行ってみたかったのですが、あれから一年して、ついに先日行く機会がありました。
確かに、そこには「里山じかん」が流れていました。
野菜だけではなくて、人や時間や里山の空間そのものが、
大切に大切にはぐくまれていました。
あぁ、まだうまく言葉にできない。
やっぱりホームページの通りです。
上記の引用文が本当にそのまま体現されていました。
言葉で伝えられないので、写真を少し。笑
雪の日舎さんは中山間地域から農業を行なっていますが、
実は、自分も中山間地域で、「農業」「食」をキーワードに仕事をしたいと思っています。
その原体験になっているのは、
大分で山暮らしをしている僕の祖父母の家です。
薪を割ってお風呂を沸かしたり、
家の前を流れる川で魚つりをしたり、
丸太を切って椎茸の菌打ちをしたり、
じいちゃんの大工仕事や農作業を手伝ったり。
じいちゃん家にいけるのは、毎年夏休みの長期休みだけでしたが、
自分たちの「暮らし」を自分たちの手で作るじいちゃんの生活が、
今なお、自分の中の原体験として残っています。
でも、田舎暮らしって決して簡単ではないんですよね。
日々変化する自然を相手に暮らしを作る。
マニュアルなんてありません。
「うまく機能するかなぁ」なんて、日々工夫を加えたり、仕組みを考えたりします。
田舎で生活する人や、自然を相手に仕事をしている人たちは、
そんな生きる力、知恵を持ち合わせていると思います。
かっこいい。
自分自身もそんな生き方をしたいし、
そして、自分の子どもや次の世代の子どもたちに、
「豊かな暮らし方」を残せる存在でありたい。
これは「百姓への記録」を作ろうと思ったきっかけにもなっているかもしれません。
でも、
暮らしって、お金にはならないんですよね。
あくまで、暮らしは自分たちのものであるからです。
しかし、この日本でお金を切り離して生活することもできない。
足りないものは買うしかないし、
エネルギーや教育費など必要最低限は稼ぐ必要があります。
だから「稼ぐための農業」と「暮らしの一部としての農業」という性質が異なる農業をど両立させるか。もしくは、何かを諦める必要があるのか。
でも、
雪の日舎さんに行ってから、悩みが吹っ切れました。
なんだか難しいことを、難しく考えているような気がして。
目の前の大事にしたい何かをしっかり両手に持って、はぐくんでいくしかないのかもしれない。
その大事にしたい「何か」がこの一枚に凝縮されていました。
何を大事にしたいのか。そこがしっかりと見えてきたら、
あとは、できることを一つ一つ。
雪国の限界集落の山あいで、
小さき背中に、大きな勇気をもらったのでした。
また、この風景を見にこれるように。
この空間が、ずっと続いていることを願っています。
2018年6月28日
松木 太
雪の日舎
https://snowdays.jp/about
最後に、自分が一番好きな雪の日舎さんのコラムを。
https://snowdays.jp/archives/1968
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